大変お恥ずかしい話ですが・・・

ど素人だった私が焼肉屋を始めた本当の理由

幼いころの私は、いつも学校から帰ると夜遅くまで自転車で遊びまわっていました。

家業がスーパーマーケットだった私の家には父も母もお店にかかりきりで、

祖母が待っている家に帰るよりも友達との遊びに夢中だったのです。

ご紹介が遅れました。「七輪炭火焼 その田」の店主、(そのだよしとも)と申します。

当店が「七輪炭火焼その田」として生まれ変わってから早くも2年が経ちました。

これも「その田」をかわいがってくださるお客様のお陰だと、

ほんとうに感謝の気持ちでいっぱいです。

今日は、なぜ私が焼肉店を始めたのか、ということについて少しお話させてください。

私が飲食店に初めて関わったのは、今から27ほど前、

私が高校生の頃だったと思います。

あの頃、私の父が共同事業で始めたファミリーレストランがありました。

いつも春休みや夏休みなどの休みのたびにスーパーの手伝いをしていた私に

「食べもの屋」というのはとても新鮮でした。

それまでの私の仕事はというと、

野菜やくだものを袋に詰めたり、パック等をしたりと単純な作業でしたので

「食べもの屋」で料理長が豪快にフライパンを振り、

じゅ~じゅ~と天ぷらを揚げ、

美味しそうな料理が目の前で出来上がり

その出来立てのお料理をお客様に持っていくと

「美味しそう~!」とか

「これ、旨いなぁ~!」なんて言葉を聞いたり

おかえりの時に「ごちそうさま!また来るよ!」

なんて言われると

すごくうれしい気分になったことを今でも忘れることができません。

そして、そんな私も大学を出たあと

家業のスーパーマーケットの勉強のために

静岡県のとあるスーパーに修行に行きました。

しかし、そのお店での仕事は本当に過酷で

朝早くから、深夜まで休む暇もなく働いていました。

でもそのお陰で、野菜やお肉に関しての知識は今の私の財産となりました。

そんな毎日を過ごしていたある日のこと、

そう、もうすぐ予定していた研修期間が終わろうとしたときのことです。

父が九州から私の働いていたお店にやってきました。

父 「もうそろそろ研修も終わりだな?」

私 「そうだね」

父 「実はな・・・焼肉屋を始めるから早めに研修を切り上げて戻ってきなさい!」

私 「・・・・え?・・・」

文字通り、私は何も言葉が出ませんでした。

「スーパーの研修はなんだったんだ・・・」

昔から威厳のある父親に反論することもできず

無理やりに承諾させられ

地元に戻ってきたのが平成3年のことでした。

それまではてっきり家業のスーパーの仕事をするものだと

信じて疑わなかった私なので

飲食店の仕事なんてどうして良いのか、わかるはずもありません。

そんな「ど素人」の私には

ただ毎日毎日お肉を切って、野菜を切って

注文の料理をこなすのに精いっぱい。

それなのにお客様からは苦情の嵐でした。

「まだできないの?」

「注文したものと違う」

「いいかげんにしてよ!!」・・・・

と、ほんとうに悪戦苦闘していました。

その後、17年間もの間、

それは簡単には語りつくせない出来事の連続でした。

中でも私共「焼肉屋」にとって一番大きな問題だったのは

2003年の12月にアメリカでBSE(狂牛病)に感染された牛の発見によって

起こったBSE問題でした。

それまでの私のお店のメイン材料である牛肉は

半分以上がアメリカ産でした。

日本の輸入禁止に伴い、当然代わりの食材を探すしか

私には手立てはありませんでした。

日本人好みの風味を持つアメリカ産に比べ

オーストラリア産やメキシコ産などの牛肉に変えて

「美味しくなくなった」というお客様の不満の声が聞こえるようになりました。

「このままじゃダメだ・・・でも、どうしたらいいのだろう?・・・」

そんな思いだけが頭をもたげながらただ時間だけが過ぎていきました。

そんなとき、私が思い出したのは

20年ほど前の修行時代に、ある方にご馳走になった

誰もが知っている超有名なブランドの黒毛和牛の味でした。

正直なところ、めちゃめちゃショックでした。

その当時、若かりし私が、

自分でそんな高級なお肉を買う事はもちろん出来ませんでした。

今でも忘れることはできませんが

生まれて初めて食べたあの最上級黒毛和牛の味は

「これまで自分が食べてきたお肉は何だったんだ?」

「世の中にこんな美味しいものがあるんだ!」

と、私の持っていた牛肉に対する

価値観を壊すには十分なものでしたし

なによりとても幸せな気分にさえしてくれたのです。

私はこの時の感動を皆さんにもお届けしたい

一人でも多くの方に

本物のお肉の美味しさを味わって「幸せな気分」になっていただきたい!

そうゆう想いで

これまで17年間もの間、皆様に慣れ親しんでいただいていた

「プライム」という店名も一新しました。

私が自分自身の目で選んだお肉だけを皆様に責任を持っておすすめしたいとの想いから

黒毛和牛の生産地に自ら足を運び、枝肉から選びました。

私が自分で選んだお肉に責任を持つという意味で

お店も「その田」という名前に変更いたしました。

もちろんそれだけではございません。

生産者が3年間近くもの時間をかけて、

丹精こめて育てあげてくれた黒毛和牛を

じっくり味わっていただけるように

居心地の良い故郷の家を思い出させる「和」の空間で

あなたの大切な方と囲炉裏を囲みながら「しあわせな時間」を過ごせる場所にしたい、

そんな想いを精いっぱい詰め込み一昨年の2007年6月、

全面改装を経て「七輪炭火焼 その田」として生まれ変わることができました。

しかし、

実は私だけでこの「その田」を動かしているのではありません。

そう、こんな「その田」を動かしているのは、実は若い社員をはじめとするスタッフたちです。

彼らは、私に似てほんとうに不器用です。

でも、こんな私の想いを一番に理解してくれる、一生懸命な最高のパートナー達でございます。

まだまだ不十分なところも多く、皆様にご迷惑をおかけすることも多々ありますが

「その田」のスタッフ一同、一人でも多くのお客様に

「美味しかった。また来るよ!」と言っていただけるようなお店になるよう

一生懸命に努力を怠らないことをここに誓います。

こんな「七輪炭火焼 その田」が皆様への想いをこめて

この2周年を機にもう一度、初心に立ち返り

皆様に「幸せな時間」を味わってもらえるよう

いつでも最高の黒毛和牛をご用意させて頂きます。 

今後とも、こんな「七輪炭火焼 その田」を

末長く可愛がって頂けますよう、何卒よろしくお願いいたします。

  七輪炭火焼 その田 店主    

      園田能丈 

七輪炭火焼の歴史 

街で極上の焼肉を食べるなら七輪炭火焼肉店。上質な焼肉の牛肉を提供するだけでなく、肉質の良さ、濃厚な旨み、甘みを一口でも味わっていただきたいと思っています。

炭火焼には何も勝てません。炭火焼は楽しい。料理を見ているだけでも、ジュージューと焼けるステーキの音や、熱く燃える炭火の音を聞いているだけでも、体が温まります。 

創設者について

七輪炭火焼の創業者である園田能生氏が考案した美味しい料理をご用意しています。

父と母がスーパーを経営していたこともあり、幼い頃から外で友達と遊ぶことが多かったという園田さん。

彼が初めて飲食店に関わったのは、今から27年ほど前の高校時代。

当時、父親が共同で始めたファミレスがあり、春休みや夏休みにはいつも手伝っていた。

彼の仕事は、新鮮な野菜や果物を袋に詰めて提供するだけの簡単な作業だった。お客様の目の前で揚げたての天ぷらを入れたフライパンを振る舞うシェフの姿を見た時、お客様は「美味しかった!」と大興奮。そこで、人の喜ぶ顔を見ることの充実感を実感したという。

大学卒業後、もっとスーパーの勉強をしようと思い、静岡県に研修に行った。その店舗での仕事は、朝早くから夜中まで休む暇もなく働くという過酷なものでした。でも、そのおかげで野菜や肉の知識が深まったという。

最初は素人からスタートした

スーパーマーケットでの修行が終わろうとしていた時、驚いたことに父親が「焼肉屋を新しく立ち上げて、その店を経営してくれ」と言ってきたのです。

県の研修を終えた園田は、その年、何も知らないまま平成に戻った。

‘毎日、肉と野菜を切るだけでも大変だったのは否めないし、注文を受けてから調理をするだけでも精一杯だった。それでもお客さんからクレームの嵐。本当に大変でした。

“飲食店の仕事なんて何をしていいのかもわからない こんな “素人 “の私には」と言っていた。

七輪炭火焼ができた経緯

17年間、彼は常に悪化の一途をたどる問題の連続だった。

中でも「焼肉屋」にとって最大の挫折は、2003年にアメリカでBSE(狂牛病)が発見されたことだ。

彼の店のメイン食材である牛肉は、半分以上がアメリカ産だった。

日本では輸入禁止のため、代替の食材を探さなければならなかった。日本人が好む味のアメリカ産に比べ、オーストラリアやメキシコ産の輸入牛肉は「美味しくなくなった」と嫌われることが多い。

その時、何年も前の修行時代のことを思い出したそうです。

それは、誰もが知っている超有名ブランドの国産黒毛和牛の味だった。生まれて初めて食べた極上の国産黒毛和牛の味は、誰もが興奮するに十分なものだった。

この特別な肉を責任を持って人々に勧めたいという思いから、園田さんは黒毛和牛の産地に足を運び、貯蔵庫の中から慎重に選びました。

2007年6月、思いをすべて詰め込んだ。そして、全面改装を経て「七輪炭火焼 あの畑」として生まれ変わった。

今では「七輪炭火焼の名店」として、町内でも有数の焼肉店として知られるようになった。

七輪炭火焼。美味しい理由

  • 地元大分県産豊後牛、佐賀牛、鹿児島県産黒毛和牛、宮崎県産黒毛和牛など、九州各地から厳選した国産黒毛和牛を使用。
  • 肉質が柔らかく、味が濃く、脂の甘みがある国産黒毛和牛のみを使用している。
  • 店主の園田信武氏が自ら厳選した肉を使用しているので、肉には自信がある。

炭火焼について

炭の素晴らしいところは、ガスグリルよりもはるかに熱く燃えることです。

肉が加熱されると、それはドリップを放出し、それが超高温の炭に当たり、炎のバーストを発生させます。ドリップは油脂や糖分、タンパク質を含んでおり、それらが気化して肉の中に戻ってきます。炭火で焼くと、その素晴らしい味が出てくるのです。練炭はあくまでも仲介役であって、味を作るものではありません。ドリップすればするほど味が出てくる。

ガスを熱源にして17年間営業しているとのこと。今回の全面改装により、全席炭火焼になりました。

炭火焼についての説明。

無煙七輪を使用しており、「焼じょうず」と呼ばれる装置を使用しています。

 画像は「焼きじょうず」の側面図です。

通常の七輪の場合、炭の上に網を置き、その上に肉を乗せて焼いたり焼いたりします。

この構造によると、肉を載せた網の下には水を入れた水槽があります。

その横に置かれた炭を、ちょうど鉄板の中心に向かって扇風機で吹き飛ばすことで 炭の輻射熱が肉に当たり、焼けるという仕組みだ。

また、本体自体は通常の七輪と同じ珪藻土で成形されています。珪藻土は過熱すると強い遠赤外線や近赤外線を大量に放出する性質を持っています。

この「焼きじょうず」の本体も近赤外線と遠赤外線を大量に放出します。炭火そのものの赤外線と相まって、食材を美味しく焼き上げることができます。

同じ炭火を使っても、炭火本来の能力を十分に引き出すことはできません。

その驚異的な熱量で、和牛の旨みを存分に堪能できます。もちろん、直火や鉄板焼きに比べると、輻射熱を利用しているため燃焼速度は遅くなります。

しかし、本当に「遠火の高熱」を再現できるのは、七輪だけなのです!

焼肉を焼くときのコツ

焼肉とは?

焼肉とは、鉄板や網焼き器で牛肉や豚肉を焼く日本の焼肉のことを指します。焼肉の歴史は20世紀半ば頃まで遡りますが、実はその歴史は浅いのです。もともとは韓国の焼肉にヒントを得て、日本でも広く認知されるようになりました。

欧米の焼肉料理とは異なり、お客さんが自分で調理するという点が特徴です。そのため、レストランではカルビやタンなどのメニューを生のまま提供しています。テーブルには専用のロースターや炭火台が設置されており、鉄製の鉄板や網焼きグリルを敷き詰めたものが置かれているので、客は自分の席で肉を焼くことができる。特製のディップソース、レモンソースなどの調味料が小皿に用意されているので、焼いた肉をディップして食べてみてください。

肉の切り口と焼き方

舌。一般的には両面を焼いて食べますが、ネギなどの薬味をトッピングする場合は、裏返さずにしっかりと火が通っていることを確認してから食べるようにしましょう。

ロース 肩から腰にかけての背肉。背骨の両側を「チャック」、そこから続く部分を「リブアイ」と呼ぶ。

カルビ。胸郭の周りの肉。柔らかくてうま味があり、焼肉の世界では特に人気のある部位です。タレで味付けされて出てくることもある。

スカート。横隔膜の筋肉部分。赤身の肉のような食感で、柔らかくて脂が豊富。腰椎に当たる部分は「垂れ下がっている部分」と呼ばれ、非常に珍重されている。

オファール:腸の総称。脂が多い場合は、しっかりと焼くことで余分な脂を取り除くことができる。

使命だ 最高のサービスを提供する 

七輪炭火焼は、モダンなグリルと伝統的なアジア料理を見事に融合させ、最高級の食材と新鮮な調理法を目の前で融合させた自慢のお店です。

新鮮なお肉を安定した品質で提供し、お客様に最高のサービスを提供することが私たちの使命です。オーナーの園田能生が個人的に可能な限り最高の肉を選び、様々な選択肢を提供しています。

私たちは、従業員、ベンダー、地域社会との関係を大切にしています。

私たちのビジョン

お客様に、楽しく、美味しく、最高のサービスの質を表現したリアルな食事体験を提供すること。お客様には文化を体験していただき、他にはない本格的な日本の炭火焼体験をしていただきたいと思います。

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